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2018/04/23

こだわり

イズホームの西崎です

塗装工事のトラブルが手抜き工事です

外壁塗装の基本は下塗り→中塗り→上塗りです

厳しい価格競争の中で利益を得るためにこの工程を抜く業者があり

トラブルになり、泣き寝入りする施主様もいます。

弊社ではこう言ったトラブルを避けるために

下塗り中塗り上塗り3度色を変える事により、施主様に目で確認を

していただいております。

外壁と塗装の保証10年です

手抜きは出来ません!

2018/04/21

一生に一度の工事かもしれません

㈱イズの西崎です

和泉市でお地蔵様の祠作りです

屋根はモルタルに墨汁を混ぜて風合いを出しております。

まだ完成はしておりませんが、報告までに・・・

2018/04/20

現地調査

㈱イズの西崎です

本日はビルの外壁塗装の見積もり依頼です

数か所ですが劣化が気になる場所がありました

このまま放置を続けると、モルタルの落下の可能性がある場所が見つかりました

塗装の前に補修が必要です。

調査報告書を作成し見積もりの前に提出いたします。

2018/03/27

色決め


イズホームの西崎です
桜がきれいになってきましたね
大阪狭山市のお客様です

外壁塗装の色を決めるのは本当に悩みますね

色見本帳だけではわからない微妙な色調整を最後にお客様自身のご自宅の

外壁で調整させていただきました。

日陰と日向では微妙に色も変わってきます。

茶色も赤色系の茶色もあれば黄色系の茶色もあります。

白色もクリーム系の白もありますし、透明感のある白色もあります。

色決めで悩んだらご相談ください

2018/02/27

珍しい工事


イズの西崎です
今回は擁壁の工事です
大風シーズン前に気になる片はお問い合わせを下さい

2018/01/23

外壁塗装の見逃す点



イズ塗装専科の西崎です

塗装をする時に給湯器の裏を塗る事を忘れてませんか?

塗装ご給湯器を交換後に塗装をしていない部分が出で来るケースがあります。

せっかく塗装をしたのもかかわらず、給湯器の裏を塗装を怠ると後で後悔しますよ

弊社は給湯器の状態にもよりますが、できるだけ給湯器の裏も塗っています。

 

2017/12/04

趣味 (ロードバイク)


趣味のロードバイクで友達4人と紅葉を見に談山神社に行ってきました
毎年行くのですが、今年が一番綺麗でした

お昼は釜飯を頂きました

自宅→河内長野→グリーンロード→竹之内峠→飛鳥→談山神社→吉野→ラ・ペッシュでモンブラン→裏金剛→河内永野
→自宅 130キロ

談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は中臣鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)といった。

大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。

鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。

平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げた。鎌倉時代には曹洞宗本山永平寺の二世、孤雲懐奘(大和尚)が参学した。一方、平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、同じ大和国の藤原氏縁の寺院でありながら宗派の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時代から室町時代にかけて度々領地などを巡り争論を繰り広げ、多武峯妙楽寺側の十市氏、越智氏は興福寺側の楢原氏、布施氏、北隅氏らの軍勢と小競り合いを繰り返していた。

天仁2年(1108年)には浄土院、食堂、経蔵、惣社、大温室、多宝塔、灌頂堂、五大堂、浄土堂に加え、近くの鹿路の村々が悉く焼かれた。特に十三重塔が承安3年(1173年)に興福寺衆徒勢の焼き討ちで消失し、文治元年(1185年)に再興されている。なお、現在の十三重塔は享禄5年(1532年)に再建されたもので、木造の十三重塔としては世界で唯一現存するものである。

その後も、永享9年(1437年)からの越智、箸尾両氏の室町幕府軍への抵抗戦(大和永享の乱)、永正3年(1506年)8月の赤沢朝経軍に対する大和国人一揆(十市氏、越智氏、箸尾氏)の抵抗戦、永禄2年(1559年)からの松永久秀に対する十市氏の抵抗戦といった「多武峰合戦」と称する3つ抵抗戦が起きるなど、ここを舞台とする戦乱は絶えることがなかった。天正13年(1585年)、豊臣秀吉により郡山城下に移すことを厳命され破却、遷座。天正18年(1590年)に帰山を許された。徳川家康により復興。近世の朱印領は3,000石余である。

明治2年(1869年)に神仏分離令により僧徒が還俗。談山神社と改称され、近代社格制度のもと、別格官幣社に列した。しかし仏教建築は現代も談山神社境内に見ることができる。明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、建物は寺院建築をそのまま使用しているため、独特の雰囲気を残している。

談山神社から御破裂山への山道があり、その奥に中臣鎌足の墓所といわれる場所がある。談山神社から、少し歩いたところに中臣鎌足の次男、淡海公(藤原不比等)の墓といわれる石塔がある。

拝殿や十三重塔は戦前に何度か日本銀行券の図案に採用されたことがある(乙20円券など)。

紅葉の名所として名高いが、桜も多く標高が高いことから周辺よりも遅咲きの桜が楽しめる。

2017/12/04

塗装のあれこれ

イズホームの西崎です
今回は塗装は塗装でも、外壁塗装ではなくて車の塗装のお話です

いつも何気なく見ていたり、洗車やワックスがけをしたりしてなじみの深い愛車の塗装。
これはいったいどんな種類があって、どのような構造になっているのだろうか。また、その特徴とはどういうことがあるのか、と言ったことを述べていきたい。
まずは基本になる樹脂の事から述べていきたい。
現代の塗料の主体は“水性”に移り、有機溶剤の含有量は極めて少なくなった。これは有機溶剤排出規制(VOC排出規制)が1992年にヨーロッパで始まった事を契機に、世界的に啓蒙された結果、溶剤が水でも可能と言う塗料が開発された結果なのだ。
しかし、塗料と言うものは、ベースになる樹脂と顔料で形成されていて、その樹脂は有機溶剤使用の塗料でも、水性の塗料でも“アクリル”が主体のようだ。
アクリルは結構タフな樹脂なので、これを外すことはできないと言うことなのだろう。
このアクリル樹脂に様々な顔料を混ぜて、各種の塗料があると考えていただきたい。
この各種塗料を使って、車の塗装が成立するとご理解いただきたい。
ここでは、ごく一般的に使われている塗装について述べていきたい。
まず、その構造だが通常は4層になっている。一番下になる部分は車の基本構造(通常は金属)に定着する役割と防錆の役割を持つと考えていただきたい。その役割をする顔料が、樹脂に混入されている塗料を使用している。多くの場合、色は茶系をしている。
2層目はサフェーサーの役割をしていて、1層目との密着を完成し、更には3層目との密着を助長するとともに、3層目の肌を綺麗にする役割をもつ。
そして3層目は“色”を表現するための大事な部分だ。これには要求される色の顔料や、微細なメタル片、雲母(マイカ)等を混ぜて、思い通りの表現を車に与えることになる。
板金塗装の職人さん達が“色合わせ”と言うのは、この部分の事である。
そして、最後に4層目。これは何も混入していない、透明な樹脂になる。ぞくにいう“クリアー”だ。
これは、本来持つアクリル樹脂の能力を100%だしながら、3層目を守り、光沢をあげて美しさを引き出す大切な層だ。
次には塗装の種類だが、大まかに分けて3種類が現在の主流になっている。
ひとつめは“ソリッド”と呼ばれる、いわゆる単色塗装の事だ。
樹脂に混ぜているのは、単純に色を表現する顔料だけになる。比較的、表現は簡単なようだが、各色の顔料をどれぐらいの配合で混ぜれば思い通りの色を表現できるのか、と言うことが結構難しい。単純なものほどごまかしが効かない、料理の世界のようだ。
また、赤、紺等の顔料は劣化が早い。良く赤がピンクに見えるような、古い車があるのはこのためだ。これを守るためにも、4層目のクリアー層は欠かせない。
次には“メタリック”だ。これは色を表現する顔料と共に、主にアルミの微細な金属片を混入して、見る角度や光の当たる角度によってその表情を変えるという、かなりデリケートな塗装になる。
次は“パール”と呼ばれる塗装で、これは顔料と共に雲母(マイカ)の粉を混入する。メタリックよりも更に繊細な表情の変化を見せるため、高級感がある。
メタリックもパールもともに、“補修”が難しい。今では“純正塗料”が出まわっているので、メタルやパールの混入量などで大変な目に会うことはないのだろうが(それでも年式によって微妙に違いうと言われている)、完全にオリジナルの塗装に同化させることは困難に近いそうだ。
乾燥の条件により、塗膜の中で、メタルやパールが動くこともあり、オリジナルと同じ並び方をさせることが、本当に困難を極めるという。
乾燥と言えば、シンナーなどの溶剤が抜けていく時に“ピンホール”と呼ばれる微細な穴が発生する事もあるが、それが基本構造の金属まで届くことは極めて希であって、懸念することはないとも言われている。
4層に跨って、ピンホールが発生する事はないと言うことがその理由らしい。
良く廃棄されたスチールロッカー等の表面に錆びが発生するのは、塗装が単層だから、ピンホールが鉄板に届くからだと言われている。
塗装とは面白くもあり、タフでもあり、繊細なものだ。
上手くつきあって、いつまでも美しい光沢を保っていただきたい。

車の塗装にも種類があるように外壁塗装にも種類が色々あるんですね!
車は塗れませんが、家は得意です(笑)


 

2017/11/07

いってきました


曽爾高原 曽爾高原  Sonikougen.JPG 曽爾高原 標高 700 m 所在地 奈良県宇陀郡曽爾村 位置 北緯34度31分4.34秒 東経136度9分37.55秒 種類 高原 Japan Map Lincun.svg 地理院地図 Googleマップ曽爾高原 Project.svg プロジェクト 山 テンプレートを表示 お亀池 二本ボソへ繋がる稜線 曽爾高原(そにこうげん)は、奈良県宇陀郡曽爾村大字太郎路にある高原。
当高原は室生赤目青山国定公園第一種特別地域内にある。
目次 [非表示] 1 概要 2 交通 2.1 バス 2.2 自動車 3 周辺 4 脚注 5 外部リンク 概要[編集] 倶留尊山(標高1038メートル)と亀山(標高849メートル)の西斜面から麓に広がる高原で、平坦地の標高は約700メートル、面積は約38ヘクタール。春になると山焼きが行われ、秋には「お亀池」という湿地帯を除いて一面がすすきに覆われる。

交通[編集] バス[編集] 三重交通が、4月1日から11月30日までの土休日と9月25日から11月30日までの平日に、近鉄大阪線名張駅から太良路バス停、曽爾高原ファームガーデンバス停を経由して、曽爾高原バス停へのバスを運行している[1]。

その他の時期(定期便利用)は山粕西行きに乗車し、太良路より徒歩でアクセスすることとなる(1日5往復の運行)。
自動車[編集] 大阪方面 名阪国道針インターチェンジで下車、国道369号を南へ向かい曽爾村に入り三重県道・奈良県道81号名張曽爾線経由で、曽爾高原に到着できる。2004年6月1日に榛原バイパス、2004年12月2日に曽爾バイパス、そして2006年8月4日には栂坂バイパスがそれぞれ開通した。

名古屋方面 名阪国道上野インターチェンジで下車、伊賀市、名張市を経由し、三重県道・奈良県道81号名張曽爾線に入り曽爾高原に到着できる。 周辺[編集] 国立曽爾青少年自然の家 曽爾高原ファームガーデン 曽爾高原温泉「お亀の湯」 みつえ高原牧場 柏原リビエール~竹之内峠~赤目48滝~曽爾高原~伊賀~上野~柏原リビエール 217キロ

2017/11/07

外壁塗装

外壁と塗料と塗料の歴史とは:日本の外壁塗装の進化の過程

塗装という言葉が日本にやってきたのは、はるか昔になり仏教と同じ時期に日本に伝わってきました。そして、その塗装の発信となったのが、漆(うるし)です。
それ以来日本の工芸品には漆が使われるようになりましたし、漆をその工芸品に塗ることによって「塗装」が広まってきたのです。だからと言ってそのころから家の外壁に塗装をする文化があったわけではありません。
昔の外壁は土壁や草壁、板壁などが主流になっており、その外壁に塗装をすると言う発想はありませんでした。昔の建物を博物館などで見たことがある人はわかると思いますが、土に草などが混ざった外壁がそのような外壁になります。
ですが、そのような土壁はデメリットも多く、建築に膨大な時間が必要になることからモルタル塗りの壁やパネル式の壁に変わっていった背景があります。
塗装と塗料の進化について
外壁は土からモルタルやパネル式に変わっていき時代と共に進化していきましたが、進化していったのは外壁だけではありません。同じく塗料や塗装の技術も時代と共に大きく進化していったのです。
外壁に塗装が施されたのは、日米和親条約が締結された建物が日本で一番最初に塗装された建物であると言われています。日米和親条約が締結されたのは、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)になり江戸時代になりますので、150年以上の歴史があります。
そうして、幕末から明治時代になり茂木春太氏と重次郎兄弟によって明治14年に設立されたのが、公明社になります。
この公明社と言うのは現在の日本ペイント株式会社のことです。そして、この公明社によって塗料の国産化が行われて日本に外壁塗装とその塗料が一気に広まっていきました。
最初の塗料の原料の主な主成分は、乾性油や天然樹脂をベースにしていたので、乾燥に時間がかかってしまい、なおかつ耐候性も良くはありませんでした。ですが、その後合成樹脂技術が開発されて昭和に時代が変わるとフタル酸樹脂塗料が生まれ改良されました。
そこから終戦後、エポキシ樹脂や塩化ビニル樹脂塗料が開発され、実用化されたことにより塗料の性能は飛躍的に向上することになりました。そこから塗料と外壁塗装の技術は私たちの身近な存在となっていったのです。
また、昭和に入ってから更なる進化を遂げた塗料の過程は合成樹脂エマルジョン技術からはじまり、私たちの想像以上の性能と耐久性になっていきました。

進化したのは機能性だけではありません。安全性も大幅に改善されました。安全性が改善されたと言うことは、環境にもよくなったと言うことになります。
外壁塗装によって外壁を塗り替える際の塗料は、クラック(亀裂)が多発していたモルタル塗りの外壁の塗り替えが比較的多かったこともあり、アクリル弾性塗料が主流でした。
(弾性塗料というのは、ゴムのような伸縮性のある塗料になり、地震などによってひび割れを防ぐ効果のある塗料のことになります。)
近年では、アクリルウレタン塗料からアクリルシリコン塗料、フッ素塗料へと高機能化がどんどん進んでいます。
道具と職人の技術の進化
住宅の外壁を塗り替えする際の工程は、圧送ローラーの開発等大規模工事に使われる機器の開発、改善が進んでいますが、私たちの住宅を塗装する塗り替え工事には昔ながらの刷毛やローラーが主流です。
しかし、刷毛とローラーと言う概念はそのままですが、刷毛でありローラーに使われる素材も進化し、その性能は昔以上になります。
刷毛は昔ながらの職人によって手作りの刷毛などがありますが、ローラーに使われるナイロン等の合成繊維によって仕上がりの良さや作業効率を向上されるなど、高機能になっているのです。